令和5年12月30日

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ほこほこと 落葉が土に なりしかな     高浜 虚子

15年前(平成20年10月)の秋、私は中学の級友で創作舞踊家元、正藤 勘扇(まさふじ かせん)の聞き書きに取り組んでいた。”創作舞踊 一番星!” 時代を踊る、夢を舞う~家元ひとめぐり、人情噺~と帯広告を巻いた一冊は翌年1月1日に東京新聞出版局から出版された。家元の意向で取次店を通さずに出版したが地元の大手書店有隣堂、教文堂等には平積みされて販売された。その時に、監修・校閲を担当して下さったのが元東京新聞記者の大崎春哉さんだった。「景気よくドンドン書きなさい!」「家元が喜べばそれが最高!」と私の背中を、押してくれた。



  
秋高し 空より青き 南部富士      山口 青邨


青空に 手あげてきるや 秋桜      五十崎 古郷


みな大き 袋を負へり 雁渡る      西東 三鬼


吾にもありし 制服の日々 鰯雲     大橋 敦子


火だるまの 秋刀魚(さんま)を妻が 食わせけり  秋元 不死男

大崎さんは、住まいの東横線菊名駅周辺の話題をてんこ盛りにした”菊名新聞”の編集長として活躍していた。財源は地域団体からの支援と商店の広告収入だが本人は無給の編集長。しかし記者としてのキャリアと人柄は多くの人を魅了して街を歩くと”編集長!”と声がかかる人気者だった。惚れ込んだ私は職場に”自主研修の申請”を行い(自身で企画・実施する自主研修制度が導入されていた。)許可を得て3日間、新人記者として”入社”した。簡単な研修の後は広告取りの営業、そして街を歩いて記者として直接取材。課題とされた記事を書いて編集長の裁可を得て紙面に掲載されて終了である。無事に研修は終了したが、その入社第一日目私は駅前で偶然に昼食を取ったとんかつ店で“手土産”のつもりで店主に頼み込み、広告契約を取り研修会場の大崎宅を始めて訪問した。「もう、広告を取ってきたのか!」大崎さんは膝を叩いて喜んでくれた。


浅草の 蕎麦もどぜうも 残暑かな        山本 蓬郎


吹き飛ばす 石は浅間の 野分かな        芭蕉


をりとりて はらりとおもき すすきかな     飯田 蛇笏


目くるめく 自分史重ね 星月夜        安藤 清美
 
 

団栗(どんぐり)の 寝んねんころり ころりかな  小林 一茶

大崎さんは三年前に鬼籍に入られた。一方、正藤家元は全国を代表する創作舞踊家として活躍している。15年前、私は本の書き出しにこう記した。~はしがきに代えて~両国の秋風に”凧”が舞う「時がめぐり季節が移ろい、東京の下町に秋が訪れた。この朝、隅田川の両国橋を渡り両国国技館に急ぐ、正藤勘扇(まさふじ かせん)は、吹き抜ける川風にも秋の光にも、去年と今年では違う何かをしっかり感じ取っていたに違いない。・・・」この民謡民舞全国大会では宿願の最高優勝、内閣総理大臣賞・日本放送協会会長賞には至らなかったが、選びに選び抜いた曲、稽古に稽古を重ねた踊り、その”三条凧ばやし”は会場をどよめかせ、正藤流の創設三十年目の節目に創作舞踊界の押しも押されぬ金看板として輝いた瞬間だった。さまざまな思い出があふれる秋。今、この一瞬を大切にして私もまた踏み出す。


団栗(どんぐり)も 美人不美人 有りにけり   高忠 小夜子


小坊主の 門に立(たて)けり 秋の暮れ     蘭更


もういいかい だあれもいない 秋の暮れ     宮木 文子


子育ては楽し 秋の夜 また楽し         後藤 智子


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