令和5年4月1日
いつもの席に その人在(おわ)す 冬ぬくし 和久井 雅子
昭和の時代の東京。浅草の通称「六区(ろっく)」の街は劇場や映画館が軒を連ねていました。コント55号の萩本欣一そしてビートたけしが育ち、日本の大衆芸能の”揺りかご”となったその街の新春を華やかに飾った映画看板は「男はつらいよ」シリーズでした。その主役寅次郎、元「浅草フランス座」の芸人渥美清はシリーズ50本という大金字塔と「フーテンの寅」という国民的名声を時代に残しました。一方、その渥美清は「風天(ふうてん)」の俳号を持つ詩人でもありました。俳人仲間の落語界の大看板”入船亭扇橋”や日本の放浪芸研究者でもある”小沢昭一”、ご存じ”永六輔”達の愉快な仲間とひねり出した句は心に沁みる世界です。
ただひとり 風の音聞く 大晦日 風天
行く年 しかたない ねていよう 風天
肌寒く 母かえらぬ ろ路に立つ 風天
遠まわりして 生きてきて 小春かな 永 六輔
おふくろ見にきてる ビリになりたくない 白い靴 風天
”人を笑わせる”というのはナァ!見た目や、おかしな格好で笑わせるんじゃあネエんだ!”こういう人間が本当にいるかもネ”、”こんな人生を生きてる人、いるかもョ” 。だから客は、笑うんだよ!笑われるんじゃあネェ!笑わせるんだよ!”・・そう弟子のビートたけしに教え込んだのは、浅草芸人の育て親「深見千三郎」です。でも「フーテンの寅」の笑いの魅力も同じです。そして”脳トレ川柳”や”啖呵売の的屋(てきや)”、”街頭紙芝居”の話術やクスグリにも通じるツボがあります。
納豆を 食パンでくう 二DK 風天
立小便 する気も失せる 冬木立 風天
貸しぶとん 運ぶ踊り子 悲しい 風天
村の子が くれた林檎ひとつ 旅いそぐ 風天
花道に 降る春雨や 音もなく 風天
”風天”の句に人生の寂寥感や達観した世界が溢れるのには理由があります。フランス座で幕間(まくあい)のコントや話芸を磨き大向こうをうならせて、サアこれから!のその時。結核で片肺を切除する大試練に遭遇します。生死の境をさまよい生老病死に向き合う、峻烈な体験が「フーテンの寅」を生み出しました。今日の人生のよどみに流れ込む失敗や挫折。反省や懺悔。でも負けない覇気と情熱。一陽来復の気概‼を込めて、”本当の春”へ踏み出すのは今! そう決意すると何かが音を立てて開いていくのです。
あと一年 元気と決めて 種をまく 白川 靖江(83歳)
人生は 悩み苦しみ ちょっと夢 中谷 政義(90歳)
短命と 思えばいとし 蝉しぐれ 島川 恵美子(82歳)
不自由で 自由でもある 日を送る 鯛竿(88歳)