令和3年12月31日

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どんぐりも 吾もころげて 世にはあり    三条 羽村


最近読み直している紙芝居に「善光寺お血脈のご印」(絵・脚本/岡野和)があります。落語「お血脈」を紙芝居に仕立てたユニークな内容です。岡野和さんの紙芝居は新美南吉原作の「小僧さんのお経」など子どもから大人まで喜ばれる紙芝居として私もずいぶん演じてきました。この「善光寺・・」は特に、噺家の故金原亭馬生師匠の口演を基調にして組み立てています。お聞きすると岡野さんが好きな噺家さんだったようです。父は古今亭志ん生、弟は志ん朝という落語の名門に生まれながら放蕩三昧の父親の下、貧乏のどん底で長男として家族を守りながら古典落語の道を極めました。私も先代馬生が大好きで「十代目馬生CD全集」をよく聞いていました。淡々と語る明るい口跡、絵画や踊りにも秀でた大看板でしたが秋の夜長にしみじみと聴ききたくなる噺家でもありました。


あか抜けた 男で余り 出世せず       馬生


刀折れ 矢つきてここに 大晦日       馬生


湯豆腐の 湯気に心の  帯がとけ      馬生


鍋の中 話とぎれて ネギを入れ       馬生

疲労困ぱいの ぱいの字を引く 秋の暮れ   小沢 昭一


「秋になると聴きたくなる噺家」とはどんな心根の人でしょうか?人生の苦楽をさらりと受け止めて”とらわれず”、”計らわず”に前に進める人・・。日替わりで翻弄されるような日々の変化があっても私達の日常生活には”踊り場”という場所があることに気が付きます。階段を上り、次に”もうひと頑張り”と思うとき目の前に現れるあのひと休みの空間です。”踊り場”は人生の中で頻繁に出会います。定年退職、そのあと少しゆっくりしてからまた頑張るか!も踊り場。そして一日の終焉、”やんなっちまうよ!”と、上席に媚びへつらいの上司を肴に酒を酌む”踊り場”。大息ついた後のひと休みに、踊り場は欠かせません。秋という季節は、その踊り場に似ている気がします。


もういいかい だあれもいない 秋の暮れ    宮木 文子


なだめつつ 延長保育 秋の夜         佐藤 和江


長き夜や 心の鬼が 身を責める        一茶
 
 

天高し 往くべき途を いざ往かん       影山 筍吉


すれ違ふ 僧に伽羅の香 秋の暮れ       新田 順子


”踊り場”は人生のオアシスです。心は解き放たれ、原点を思い出して力強い一歩を踏み出せます。秋という季節も、とりわけ今年のような閉塞された熱い夏から冷たい冬に向かって息を整えるひと休み。しかし心したいものです。長く踊り場に”滞留”を続けると次の階段を上る熱意より、下り階段の楽しさ気楽さに心を奪われます。トントントン、ストトントン・・と階段を下り下って、出口のない地下室に迷い込まないように!と秋の風の中で強く、強く心を励まします。


吾にもありし 制服の日々 鰯雲        大橋 敦子


野ねずみの ごとく枯葉の 走り行く      宮島 孝子


一筋の道 秋天に つながりぬ        本郷 礼子


秋天は 一枚なりし 富士をおく        土屋 惣子


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