令和3年10月30日
向日葵の 千の笑顔に 笑み返す 山川 幸子
高野素十さんの句に”夜を隔て人を隔てて梅雨に入る”があります。感染症蔓延の時代は、”万年梅雨(まんねんつゆ)”のように四季の移ろいすらも希薄になりがち。その中、面白いカタツムリの話題を耳にしました。ある女性が食用のモロヘイヤ(沖縄産)を購入するとその葉に小さなカタツムリが付いていました。驚いて早速透明の容器に移して飼育が始まりました。食用の葉を入れ霧吹きで湿度を保ちましたが、環境と食事に慣れさせる”馴致(じゅんち)”はなかなか思うようにいきません。私は、以前動物園に勤務した際に飼育の第一歩はまず馴致から!と飼育職員が悪戦苦闘していたのを思い出しました。元気がなくエサも食べず、角も出さず動くこともしなくなって数日。モロヘイヤの産地は沖縄です。ふと、故郷に返してあげたいと思い立った彼女。感染症の厳しい沖縄は訪問が難しいため、隣りの島で友人もいる奄美大島に送り届けることに。折から梅雨の真っただ中、激しい雨のスコールが断続していたそうです。島には観光客もおらず、無事に友人の施設の庭にカタツムリ君を放つことが出来ました。すると、たちまち元気を回復し、メキメキ角を出し現地の別のカタツムリと歩き回る映像が送られてきました。良かったね!
梅雨に入る ふさぎの虫に 酒かけん 柴 淺茅
一里塚 富士を仰げば 雲の峰 辻 蝶子
少年の 陽のにおいして 夏に入る 土師 のり子
氷川丸 錨をあげよ 夏来る 永井 友二郎
「横浜最後の街頭紙芝居師」鷲塚隆さんが暮らした街、横浜のイメージは港。昭和28年、荒廃した港も復興して戦後初めて新港ふ頭から北米西海岸への航路に氷川丸が出港したのは70年近く前。以来、横浜港はヒト、モノを世界とつなぐ玄関として日本経済発展の原動力となりました。その”太平洋の女王”と謳われた”氷川丸”は現在も山下公園に係留されています。「ヨコハマ・ウオーキング」というユニークな観光ガイドブックの取材で初めて氷川丸を訪問したのは今から40年前の春。横浜市が初めて一般書店で発売したこのガイドブックは大ヒット、ベストセラーとなりました。私も数名の同僚に加わり記事を書いたのですが、氷川丸の記事には「…夕暮れのデッキからは、”ヨコハマたそがれ”が楽しめる。大晦日の夜には、在港船が一斉に鳴らす汽笛を聞いて、新年を迎えようという若者が近年増加中。除夜の鐘ならぬ船の汽笛に耳を傾けながら、新しいシメ飾りと鏡餅の置かれたブリッジの氷川神社に初詣するのも、一味違ったハマの元旦といえよう。」と紹介しておりました。
夏という 挑戦的な 季節来る 荻野 彰一
反骨や 遠き己を 夏の雲 国分 葭穂
背泳ぎで 友みんな去る 夏の闇 宮入 聖
嘘言えぬ顔 向日葵が 覗きをり 岩波 竹渓
まだ続きそうなトンネルの中。先が見えないと嘆くより息苦しさの根源でもある「計画を立てる人生」から離脱することをススメる方がいます。でも、そんなことできまへ~ン。無理で~す。それより、とらわれる気持ち、気になる心の癖。心の中の杭や石、引っかかってしまう心の焼けボッ杭を取り払いたいと願います。それなら、私でも少しづづできます。こんな時だからこそ、工夫して他の方々の役に立つことに取り組みましょう。地域で、職場で、街角で。そう思い続けると、パッと広い場所に出たような気持ちになれる時があります。気持ちを切り替えて、右の手と左の掌(てのひら)を合わせると心は空に向かって飛んでいきます。夏雲の湧き上がるその先の大きな、大きな深い世界に。
暑き日を 海に入れたり 最上川 芭蕉
溜息(ためいき)の 五つで足らぬ 暑さかな 有本 洋剛
炎天に出づる 覚悟の さりげなく 北村 夢窕
たちまちに 富士吞み込みし 雲の峰 須藤 常央