令和2年8月18日
紫陽花の花の向こうにのぞく富士
紫陽花(あじさい)の てんこ盛りなる 雨の粒 田中 延子
夜、雨音を聞くといつもこの歌を思い出します。童謡「雨降りお月」です。茨城の名家に生まれた野口雨情が22歳の時、その元へ嫁ぐ妻ひろさんがモデルと言われています。時期は秋、雨は冷たかったかもしれません。月は時々顔をのぞかせたかもしれませんが、暗い雨の山路は何よりも新妻にとっては不安がいっぱいだったことでしょう。そしてその不安は後年、的中して悲劇的な別れを迎えます。
雨降りお月さん雲の蔭 お嫁にゆくときゃ誰とゆく
一人で傘(からかさ)さしてゆく 傘(からかさ)ないとき誰とゆく
シャラシャラ シャンシャン鈴つけた お馬にゆられてぬれてゆく
いそがにゃお馬よ 夜が明けよう
手綱(たずな)の下からチョイとみたりゃ
お袖(そで)でお顔をかくしてる
お袖(そで)はぬれても 乾(ほ)しゃかわく
雨降りお月さん雲の蔭
お馬にゆられてぬれてゆく
野口雨情:作詞 中山晋平:作曲 大正14年
雨の音は心に共鳴して、琴線をふるわせます。こうして来たのに、ああやって来たのに・・。でも、ああやってあげたのに!と恩着せがましい思いが起こると絶望は深くなります。あのようにさせてもらえて、ヨカッタ!と気が付くと、雨の音にも心は和らぎます。
小さくも 犬の遠吠え 梅雨にいる 永山 憲子
木漏れ日の 山紫陽花(やまあじさい)の濃かりけり 嶺脇 キヨ
逢えぬまま 紫陽花は 葉に戻りけり 越野 雄治
北原白秋、西城八十とともに三大詩人として知られる野口雨情。旧制高校在学中に家業を継ぐために中退して故郷に戻ります。しかし文学への夢を捨てがたい雨情は、妻ひろさんに二人の子と家を任せたまま生業に身が入りません。温泉の芸者さんと暮らしたり、その後また別な女性と生活して妻のひろさんとは協議離婚して2児を引き取ります。
六月の 万年筆の においかな 千葉 晧史
髪結いの 亭主と別れ 梅雨にいる 京極 山琅子
紫陽花へ 朝の挨拶 出勤す 清水 幹雄
手熨斗(てのし)して 畳むブラウス 梅雨にいる 生田 もと江
雨情は離婚したものの、ひろさんには感謝していたと言われます。ひろさんも何か三人目の子のように夫を見ていた節があります。『お袖(そで)はぬれても 乾(ほ)しゃかわく・・・お馬にゆられてぬれてゆく』。毅然として、負けず、たじろがず日々を生きた明治の女性、というよりもけなげな少女が、妻になり母になり成長し続けた姿であったでしょう。不安と混乱の時代だからこそ・・・、『負けないぞ!』『負けないよ!』「負けないね!』。その心を、支えにして 明日を生きていきます。
傘一本 重荷の余生 梅雨にいる 守田 椰子夫
大山に 湧く白雲や 夏近し 小谷 世司人
夏の雲 鯨が口を 開けてます 山岸 竜治