令和元年10月10日
ひまわりや 楽天家族の ように咲く 高橋 美智子
桜の季節がアッ、というまに流れ過ぎ梅雨に入り夏がめぐります。この春は親しかった伯父を見送りました。時が止まったように夏を迎えました。伯父は戦後間もなくNHKに勤務してテレビ放送の創成期からその爛熟期を報道カメラマンとして第一線で過ごしました。看板番組の「新日本紀行」「現代の映像」の撮影をはじめ各地の戦場や南米ペルー、南極まで足を延ばし報道関係者として初めて越冬隊員と過酷な南極の冬も経験しました。「現代の映像」の第一作は凍りつく厳寒の北洋で海難事故の取材映像でした。甲板を洗う波、傾斜を増す船体、その沈みゆく船から救助の巡視船を撮影する決死の映像は世間の度肝を抜きました。多くの賛嘆の声と高い評価。しかし撮影者の名前が表に出ることはありませんでした。
世を隔て 人を隔てて 梅雨に入る 高野 素十
梅雨に入る はるかなる世を 見詰めつつ 野見山 朱鳥
向日葵の 千の笑顔に 笑み返す 山川 幸子
ひまわりの 最敬礼で 夏が行き 秋山 敞子
暑き日を 海に入れたり 最上川 芭蕉
「現代の映像」第一作が放映されて1週間、事態は変化しました。当時の”毎日新聞夕刊コラム”はこう主張します。この番組”還らぬ海”を「テレビ記録映画の傑作」と絶賛して「NHKはこのフィルムの放送にあたって、なぜかカメラマンの名前を画面に出さなかった。」「こうした場合、スタッフの名前を当然明記すべきではないだろうか。…このカメラマンの名は・・」と紙面に伯父のフルネームを掲載しました。今から半世紀前の昭和39年4月15日の新聞記事です。伯父の逝去後に個室の引き出しから記事の切り抜きを見つけて、さまざまな思いを巡らしました。
めし食うて 涙とまらぬ 夏ありし やしま季晴
炎天下 一歩踏み出す 勇気かな 武内 久子
暑さ、寒さを感じるように喜怒哀楽の浮き沈み。私たちは”生老病死”の中に日々を生きます。でもふと、地球が夜をめぐって朝を迎えることは偶然ではなく、素晴らしいことだ、と気が付いてみると何かがきっと違います。この人生何十年分の夜をくぐった朝だ!とすがすがしさが身に沁みてくるのです。ひるまず、たじろがず、明るく。フツフツと心が湧いてきます。いくつになっても、たとえ歳を重ねても凛々しく、すっくと立って前に進んでいきます、と自身に語りかけます。
少年の 陽のにほひして 夏に入る 土師 のり子
六十年目の 夏来たる 君は少女のまま 中村 重義
五臓六腑 じゃんじゃん つかひきって夏 樋日 一破