右手和子先生の祥月ご命日法要に参座させていただきました

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 戦後の荒廃した街角に街頭紙芝居の拍子木の音が響いたのは半世紀以上前の昭和20年代です。そして30年代のなかばには街頭紙芝居はたちまち朝露のように消えてしまいました。そして教育紙芝居の時代です。印刷された紙芝居は、一枚一枚手作りの街頭紙芝居と異なり幼稚園や学校そして幼児教育の教材としてまた、子どもの文化醸成の身近な素材として全国津々浦々に伝播して時代を築き上げました。右手和子先生はそのような紙芝居文化の金字塔として今も私達の心に生きています。その右手先生がご逝去され8年目の秋を迎えます。
 8年前の秋10月に、私は私淑している右手先生にお手紙を書きました。一度”紙芝居クリニック”で暖かいご指導をいただき何度か面識はありましたが、ただお会いするだけで嬉しい思い出がありました。手紙には「これから”紙芝居学校”のお手伝いに出向きます。また先生と、どこかでお会いしたいです・・」と。職場の退職を一区切りとして子育ての頃から紙芝居を読み聞かせ、その”コミュニケーションツール”としての素晴らしい魅力に、目覚めた私は何とか幼少期の頃のあの街頭紙芝居の復活・再生ができないかと思い詰めていました。
 しばらくして突然、お電話をいただきました。「右手先生はお亡くなりになりました」「自宅のポストに残されていたお手紙を失礼と思いましたが読ませていただきました・・」。先生の最後のご様子や、整理の状況そして葬儀の予定を、ご自身も失意の中にあったであろう、その中でやさしく伝えて下さった電話の相手は子ども文化研究所の鈴木孝子事務局長でした。その秋の日の、窓の外の陽射しを今も記憶しています。
 11月17日(日)、先生の祥月ご命日に一門の高弟の方そして親しい友人の方々に混じり大田区田園調布本町の密蔵院の墓前に参拝させていただきました。本当にありがとうございます。
 急な私のお願いを聞いて下さった高瀬あけみさんがシャッターを切って下さった写真には、ご住職様と元・子ども文化研調査資料室長の元山さん、全国の紙芝居関係者のアイドル菊地好江さん、そして右手先生の親友であり、肉親同様の分身のような磯貝しま子さんと鈴木孝子さんがいらっしゃいます。
 子どもの文化研究所は50周年を迎えるとお聞きします。50回目の秋が私にとっても、ひときわ輝く秋になりました。不安の混乱の時代の中で街頭紙芝居は「コミュニケーションの対面販売」のような魅力を感じます。時代を超えて、またあらためて伝えていきたいと念願し踏み出す決意です。本当にありがとうございます。