街頭紙芝居のオジサンの服装はどんなもの?

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 昭和20年~30年代の東京渋谷の下町には紙芝居のオジサンが毎日やってきた。拍子木を鳴らして子どもたちを集める場所は「弁財天」をお祀りする通称”弁天様”の狭い境内だった。地下鉄「広尾駅」から5分のその場所は、今訪ねると鳥居をくぐり”みたらし”を使うと、すぐ目の前には賽銭箱が置かれているような狭い境内だ。

 自転車舞台の紙芝居オジサンは冬は汚れたジャンパー、夏はワイシャツで帽子をかぶっていた。今の演じ手がこぞって着用する”鳥打帽子(ハンチィング)”ではなかった。こうしたオジサンが当時は都内には約3千人前後いたという。平成22年6月に紙芝居師の永田為春先生(江戸川区鹿骨)をおたずねした際には、”当時紙芝居師は都内に1万人以上いた”と貴重なお話をお聞きした。

 3千人と1万人と差があるが、従事する人数は流動的であったろう。永田さん自身、紙芝居歴56年の中で妻・ヨシさんとの結婚の際は「紙芝居をやめる」と約束。しばらくして、また紙芝居をしたと言う。紙芝居をやめなければ実家に帰ります!とヨシさんに言われながら永田さんは紙芝居を続けていた、と。その永田先生は昔の写真を見ても、今と同じ”鳥打帽子”とチョッキのイカス服装で上演されていた。

 さて「紙芝居オジサン」の服装も従事者数と同様に、なかなか特定することは難しい。特に、炎天下の夏場は暑くて困ったのではなかろうか。私の場合は夏も冬も袢纏(はんてん)を着用しているが、ある方の推薦もあり今年の夏は涼しい”ダボシャツ”の上に袢纏を着用しようと思っている。下着のようなぺらぺらなものでなく、しっかりした生地の8分袖のもので、他人に不快感を与えない服装で涼を取りながら、熱中症を気をつけて実演することにいたします。