令和6年12月24日
ああ 六十年紅葉 まだ青すぎる 菊地 京子
幼い頃、渋谷区広尾の下町に住んでいた。港区に隣接し幼稚園から中学一年まで港区に通ったが、遊び場は商店街と裏通りの弁天堂の周辺だった。夕暮れの賑わいの中に、カチ!カチ!カチ!拍子木の音が響き境内で街頭紙芝居が始まった。血湧き、肉躍る冒険活劇。快刀乱麻の時代劇・・。どこにでもある昭和の街角。忘れられない少年の時間がそこにあった。
風を あるいてきて 新酒いっぱい 種田 山頭火
夫の嘘 ほどよく許し 新酒つぐ 橋本 京子
新米の 其(そ)の一粒の 光かな 高浜 虚子
手みやげの 新米五キログラムなり 大平 洋子
八海山の 裾野を広げ 豊の秋 皆川 朝子
本日のメニュー 紅葉のレストラン 菊地 共子
時は移り時代は変わる。季節と同様に人の人生にも秋が訪れる。 それぞれにそれぞれ秋の夜長かな【赤澤北江】。
今は、様変わりしたが日比谷線「広尾駅」で下車すると商店街の西側突き当りに祥雲寺の山門、東は広尾橋交差点。左へ麻布・六本木方向の旧・都電通りを歩いて15分、右へ入ると笄(こうがい)小学校。徳川家の甲賀・伊賀(こうがいが)組に由来する旧町名を冠した小学校に6年間通学した。広尾橋交差点を左折せず、そのまま直進すると「有栖川宮恩賜記念公園」の正門と「南部坂」。講談「南部坂雪の別れ」では赤穂浪士47人を率いる大石内蔵助が主君浅野家の下屋敷で正室瑶泉院様に面会。降り積もる雪の中、未明の吉良邸討ち入りを黙して語らず最後の別れを告げるという名場面の舞台。その坂の右側が2年間通園した南部坂幼稚園。帽子、スモックの制服にヒマワリのバッチを付けて雨の日も風の日も、雪の日も・・・。
風呂敷に 落葉包みぬ 母も子も 川端 茅舎
吾子泣けば 隣りのも泣く 夜半の秋 明野 ム弓
赤とんぼ じっとしたまま 明日どうする 風天(渥美 清)
肌寒く 母かえらぬ ろ路に立つ 風天
あなたには 素直になれる 星月夜 柿内 芳子
その南部坂の北東の空に鉄骨が組み上げられ、鉄塔の建設が始まった。それは徐々に伸びあがり、赤と白の帯状の先塔は東京タワーとなった。今から66年前、昭和33年(1958年)の秋、年内に電波塔としての供用開始を目前にその雄姿は天空に屹立してみえた。非力で意気地なしで、根気も能力もない無力な小学生の自分でも、坂の上の遥かな白い雲を望むような胸の高まりを感じた。時は今だ!負けずに一歩を踏み出すぞ。フッーの少年、どこにでもいる少年の当たり前の夢。でもその時はピッカ、ピッカのプラチナゴールドに輝く夢が広がった。そして今、秋の風を感じながら、忘れていた鼓動が確かに聞こえてくる。
わが中に 道ありてゆく 秋の暮れ 野見山 朱鳥
鰯雲 少年独り 球を蹴り 浦 涛聲
湯上りの シャボンの匂ひ 夜の秋 大山 えい子
秋空へ 一直線の 二百段 八十島 祥子
村の子が くれた林檎ひとつ 旅いそぐ 風天